Sadie

Son Seals


2004-08-12 THU.


3月13日には Going Back Home を採り上げました Son Seals によるこの曲はモチロン我らが Hound Dog Taylor センセの「名曲」でございます。
オープニングから、あのお馴染みの重心の低い、いささかワイセツな(?)リフが徘徊を始め、そこに Son Seals の語り(前説みたいなもんでしょな)が入り、そこでややリフが引っ込むのが惜しいんですが、抑えめのトーンでリキみの抜けてるヴォーカルは、原曲とはまた違った味があって、これはこれで楽しめます。

背後には Hound Dog じゃあ「合わない」だろなあ、って感じの華麗なピアノやら「厚い」ブラス・セクションまで塗り込められたこのサウンドはオリジナルとはかなりベクトルを異にしておりますが、でも、彼なりにこの曲を「愛している」ってのが伝わってきますねえ。
そのピアノは Tony Zamagni (イタリア系の白人で、他に Billy Boy Arnold の Eldorado Cadillac にもオルガンで参加) 。バックのホーンは Larry McCray( 1960年 Arkansas 州 Magnolia 生まれ。姉の Clara が作っていたバンド the Rockets に入り、一緒に州内をツアーしていたらしい。姉は録音を残していないものの、Freddie King スタイルのギターを弾き、彼にも影響を与えたようで、B.B. & Albert を含む三大キング+ Albert Collins & Magic Sam が彼のスタイルの根底にあり、そのせいか、使うギターはフライングV。ただし、ロックもかなり好きだったようで、そのへんのテイストも感じられる。1991年初吹き込み。1993年 Albert Collins のサポートとしてツアーに参加。1995年からは順調にアルバムをリリースしている)のバンドからのRed Groetzinger とDan Rabinovitz。

さて、Bruce Iglauer によれば、「南部からやってきたやせこけた若者で、ぐしゃぐしゃの髪におまけにズボンはクツにまで届いていないという有様だった」Son Seals、そんなどこのウマの骨だか判んないヤツを Express Way Lounge に紹介し、金曜と土曜の夜をあてがい(?)、自分でもそのギグに顔を出して盛り上げてくれたのが、他でもない Hound Dog Taylor センセだったと言います。
なんだかちょっとイメージがちゃうよな気もするけど(シツレイ?)その意味じゃあ、Hound Dog、彼の大恩人みたいなもんなんですね。
そのヘンの思い入れもあって、この Sadie をやっているのかもしれません。

あと、Luther Allison の Give Me Back My Wig あたりを聴いても、Hound Dog Taylor が同じ時代のブルースマンに与えた影響って、案外大きいのかもしれませんね。
あんな風にゃ弾けないけど、でもオモシロいよなあ・・・っちゅう意味で、その曲を一度はやってみたい、っつー願望を秘めているブルースマンってのが意外とセンプクしてたりして。

ま、自分をその仲間に入れちゃうのはちょっと、と言うか、「かなり」いけずうずうしいっちゅうもんでございますが、不肖わたくしめも Hound Dog Taylor のスライドの真似事などさせていただいておりますが、マジにコピーしようなんてするハズもなく、勝手に拡大解釈し(一説では「縮小解釈」などとも言われておりますが)て、それっぽいスライドを楽しんでおります。

さて、これはブルース・サイトの主宰者として「あるまじき」告白てなことになるのではないかと思うのですが、Bruce Iglauer がどんだけ買い被ろうと、ワタクシいちどだって Son Seals のブルースを「いい!」と感じたこと無いんですよ。
いや確かにブルースではあるし、そこそこ売れたんでしょうけど、偏屈なワタクシをマンゾクさせてくれる「ブルース度(?)」ってのが足りない!と思えてならんのでございます。

まあアリゲーターとしちゃメシのタネでもあるだろうから「いちおう」取り上げてはおりますが、まったくシンパシーを持ち得ない相手なのでございますよ。
したがって彼のその後などにも興味がなく、死んじゃった、ゆうハナシも聞こえてきたのでございますが「サン・シールズじゃな⋯」などとうそぶいてマトモに検索すらしておらず、よってここのバイオにも「死」についてヒトコトも触れておりませんでした。
まあ、そんだけ「関心が持てないブルースマン」だったのでございます。

でもまあ、「バイオ」には明確に記しとくべきじゃなかろっか?と「急に」殊勝なキモチから検索してみたのでございます。
したらその死もですが、その前、1995 年には自動車事故で左手に大怪我をしており、さらに 1997年の1月には彼の妻(この事件の時点で既に「元妻、つまり離婚した妻」と記載しているサイトと、この事件を機に離婚した、とする二つの「説」が存在する)が眠っていた彼の頭部を拳銃で撃ち、当然ながらその銃弾はかれの顎、とゆうか口を損ない、妻は逮捕され、裁判にかけられたのですが、どうもその行為の動機となった事情やらいきさつについてはたどり着くことは出来ませんでした。
顎の再生手術は複数回にわたって行われたようですが、やはり彼の声は元とは違ってしまったそうでございます。
その二年後には糖尿病からの合併症で左足の膝から下を失い、もはや立って演奏することもできなくなっていたようで⋯
さらに災難は続き、彼自身の愛用していた特注のギターが盗難に遭い、しかもモーターホームまで火災によって失っております。

彼の最後のライヴはカリフォルニアで行われた 2004 年 10 月でしたが、その後やはり糖尿病の合併症から体調は悪化し、同年 12 月 20 日、シカゴ郊外のリッチトンパークの療養施設で死亡しています。

しかし今回、以上のいきさつを調べるにあたって参照した数々のサイトの記述には「非常に」驚かされました。
それはね、彼のことを「メチャメチャ誉めそやしている」のですよ⋯
それ⋯個人的な主観に過ぎませんがワタクシにはどうしても頷けない過剰な評価に思えてしかたありませんねん。
最後をこんな言葉で締めるってのもアレなんですけど「もっとも不当に過大評価されてるブルースマン」とワタシは思っております。ほなサイナラ⋯


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