Nesuhi Ertegu & LP's

Atlantic Records


2004-09-03 FRI.
この「好みのはっきりした」独立系レコード会社が、スケールの大きなメジャー各社に伍してツブれもせずプレゼンスを発揮し続けて来れた理由については様々な分析がなされています。
まず財務管理面では、基本となる出資者が、それによって利潤を上げようとする投資家ではなく、Ahmet の父の代から親交のあった歯科医であり、会社運営に関して、あるいは配当についてもウルサく口を挟むということが無かった、という点が挙げられるでしょう。
また設備投資にしても、獲得するミュージシャンについても一切、干渉されることなく、会社としてのベクトルを鮮明にすることができたことで、レーベルに対する消費者の信頼を得ることが出来たことも大きいと思います。

一方の製作現場では、これまで、適正な対価が支払われることが少なかった黒人ミュージシャンに対して(あくまでも当時の基準としては、ですが)充分な報酬と、その人格を尊重した「扱い」が感銘を与え、それが口コミで広がって、さらにミュージシャンを集める、という相乗効果が見られたのも確かでしょう。
逆に言えば、それほど当時のレコード業界は黒人ミュージシャンたちを不当に扱っていた、とも言えるワケで、戦前など、原盤著作権などという概念も無いブルースマンに 1 曲 5 ドルなどという「はした金」を渡して、それ以降の一切の使用にまつわる権利までも「買った」と称する「常識」がまかり通っていた業界なのですから。

戦前に比べれば、ミュージシャンに対する扱いは改善された、とは言うものの、売上に対する印税はせいぜい 2% で、しかも黒人ミュージシャンに対してはゼロという場合が殆どだった時代に、ATLANTIC では 3% から 5% を確実に支払ったのですから、これまでの「録音」を売るだけ、の世界から、それがヒットすれば、「その後」も収入がある、というまったく新しい世界が「見えて」来たワケです(そのことは「売れる曲」という概念を黒人ミュージシャンにもたらした、と言うことが出来るのかもしれませんね)。実際、ATLANTIC と契約したミュージシャンは「長期契約」を望む場合が多かったといわれています。
そんな状況ですから、どうせ吹き込むなら ATLANTIC!という風潮を生み出したのは当然だったでしょう。

ただ、そこには金銭的なものだけではない、もうひとつの重要なファクターがあったのではないか、と思います。
それは、ATLANTIC の首脳陣が、黒人ではないにせよ、WASP(いわゆる、アングロ・サクソン系のプロテスタントの白人)では「なかった」ということが影響していたのではないでしょうか?もちろん「黒人であること」に比べれば、「トルコ人であること」また「ユダヤ系であること」で蒙る被差別は、遥かに「軽微なもの」ではあるでしょうが、そこには「差別する側」の持つ「傲慢さ」が「あまり」無かったのではないか?と想像しています。

ATLANTIC によるロイヤルティーの支払いや契約金の額などは、もちろん、他のメジャーでも同じことはスグにでもマネ出来ますよね。でも、製作現場にまで浸透した差別的な扱いといったようなものは一朝一夕に変化することは難しかったことでしょう。
それが「すべて」ではないでしょうが、少なからず影響を与えていた、というのはおおいに「あり得る」と考えています。

そのような ATLANTIC の契約ミュージシャンの顔ぶれを見てみると、Stan Kenton のバンドのメンバー、Art Pepper、Shelly Manne、Pete Rugolo、そして当ホーム・ページ、Blues After Dark で最高の VIP 待遇(?)を与えられている Screamin' Jay Hawkins を語る際には外すことの出来ない Tiny Grimes、さらに the Delta Rhythm Boys、the Clovers、the Cardinals、R&B 系のシンガーでは Ruth Brown、Stick McGhee に Joe Turner、ピアニストの Erroll Garner に Mal Waldron、トランペットの Dizzy Gillespie、ジャズ・シンガーでは Jackie & Roy や Sarah Vaughan、ブルース系では Leadbelly に Sonny Terry などなど⋯

ところで、ここで忘れちゃいけないのは、Professor Longhair でしょう。そのヘンについちゃ、昨年 9 月 1 日の日記でどうぞ。
そこでも触れていますが、1949 年から 1950 年のアタマにかけて Hey Now Baby( ATLANTIC SD 7225 )、Mardi Gras In New Orleans( ATLANTIC-897, SD 7225 )、Walk Your Blues Away( ATLANTIC 906 )、Hey Little Girl( ATLANTIC-947 )、She Walks Right In、Willie Mae、Professor Longhair Blues、Boogie Woogie( ATLANTIC SD 7225 )、Longhair's Blues-Rhumba などを ATLANTIC に Roy "Bald Head" Byrd( or Roland Byrd / Professor Longhair )& His Blues Scholars 名義で録音しています。

1948 年に CBS COLUMBIA の Peter Goldmark が開発した、直径 12 インチ( 30cm )、毎分 33 と 1/3 回転という the Long Play record、つまり LP の規格がスタートしているのですが、ATLANTIC は 1949 年の 3 月に早くもその新しい規格でプレスされたディスクを発売しています。
ただし、ATLANTIC 最初の LP は 12 インチではなく、10 インチ・サイズ、しかもなんでか「詩の朗読」のレコードだった(シリアルは「実験的」な存在だった、ということなのか、それ以降のものとは異なる独自の TLP 11213/11214 が使われています)らしいですが。もちろん CD の初期と同様、旧規格たる 78 回転の SP の三枚セットで同内容のものも併せて発売されました。
翌 1950 年には ALS-108、Joe Bushkin の I Love a Piano、次いで ALS-109、Erroll Garner の Rhapsody を発売。
ATLANTIC 初の 12 インチ LP は 1951 年 1 月に発売された ALS-401、Eva LaGallienne と Richard Waring によるシェークスピアの Romeo and Juliet でした。
やはり、長時間の連続録音という特質を生かして「詩の朗読」やら演劇などが最初に選ばれた、というのは面白いですね。

その少し後、1952 年には Ray Charles が ATLANTIC と契約して、二年間ほどは Roll With My Baby などの録音をしているのですが、どれも大ヒットというにはほど遠いセールスで終わっています。
それが 1954 年に Ray Charles が新しいバンドを用意したことを聞きつけた Jerry Wexler が Atlanta の Ray Charles のもとに駆けつけ、その音を聴くや、すぐさま、そのセットで the Georgia Tech radio station に赴き、I Got a Woman をレコーディングしたのでした。
そしてまさにこの曲こそが Ray Charles の「栄光」のスタートであり、ATLANTIC にとっても大きな意味を持つヒットとなったのです。

ところで、昨日のとこで Ahmet の兄 Nesuhi が 1956 年に ATLANTIC に加わった、と書きましたが、実はそれにはもうひとつエピソードがあります。
Nesuhi は 1943 年に Los Angeles の the Jazzman Record Shop というレコード店のオーナーだった Marili Morden という女性と結婚しており、その後 Los Angeles で暮らしていたのですが、1955 年に、当時いわば ATLANTIC の対立候補(?)的な存在であった IMPERIAL Records から、そのジャズに関する見識を買われて、経営に参加するように求められていたようなのです。
Nesuhi がそのことを電話で Ahmet に報告したことで事態が動きました。兄弟が敵対する(はオーヴァーだけど)レコード会社に別れてしまうのはマズい、と考えた Ahmet と Jerry Wexler は急ぎ西海岸に飛び、ATLANTIC に「加わるよう」説得に当たったと言われています。
Ahmet と Nesuhi の間はしばらく疎遠になってはいたようですが、そこで説得に応じて丸く収まったところを見ると、さほど深刻な「対立」のようなものがあったワケではなかったのでしょうね。
そうして ATLANTIC に復帰した Nesuhi Ertegun によってウエスト・コーストのプレイヤー( Shorty Rogers、Jimmy Giuffre、Herbie Mann、Les McCann など)ももたらされて、ジャズ系のカタログはさらに充実するようになりました。

とくに LP の時代となって行く趨勢の中で ATLANTIC は他の独立系レーベルはもとより、時としてメジャー・レーベルの製品をも上回るクォリテイと、しっかりした(鑑賞に耐え得る)ジャケットや親切で充実した内容のライナー・ノーツなど、消費者の期待に添った路線で高い評価を獲得して行くのですが、これには Nesuhi Ertegun の存在が大きかった、と言われています。

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