Vocalion Records

the Aeolian Company


2004-10-09 SAT.


以前にもところどころで登場していた Vocalion について、その前身からのお話をすこし。
19 世紀の末( 1888 年?)、 まだピアノが大量生産による工業製品ではなく、 ピアノ職人や専門の工房によって一台づつ作られていた時代に、それらの「生産者」とユーザーを仲介する「販売業者」として William B. Tremaine により New York で設立された会社が the Aeolian Organ and Music Company でした。
1892 年には the Monroe Organ Reed Company から全ての特許を買取り、1895 年には自動演奏ピアノの技術( Duo-Art )を開発し、それを導入した Pianola というピアノ状の楽器を作っています。
1898 年には Harry B. Tremaine は父から会社を受け継ぎ、社名を the Aeolian Company と改めています。
1903 年には William E. Wheelock の Weber piano Co.( Worcester, MA )も傘下におさめ、さらに巨大化して行きました。

Aeolian という名前はギリシャ神話の風の神、Aeoles から来ているのだそうですが、なんで風の神がピアノなのか?というと、かって、紀元前のギリシャでは風が通る窓にたくさんの弦を張って、そこを吹きぬける風がもたらす振動で「自然に」鳴り出すという「楽器」を Aeolian Harp と呼んでおり、その弦の成り立ちからピアノに結びつけたもののようです。

この the Aeolian Company は 1909 年、ピアノ製作者の Steinway の工房 the Steinway Company と契約し、供給されるピアノに、自動演奏のメカニズム、Duo-Art を搭載したモデルを開発し、一台 4500 ドルで販売されたそうです(一方、それに対抗すべく the American Piano Company では似たような自動演奏機能を持ったシステム「 Ampico 」を開発して対抗しています。ただし 1932 年にはこの二社は統合するのですが)。

ピアノの製作は New York で行っていたようですが、蓄音器は Garwood と Meriden、また Weber ピアノはロンドン近郊で作っています。
ところで、Vocalion という名前は、最初 the Aeolian, Weber Piano and Pianola Company 傘下の Vocalion Organ Company として登場しているんですねえ。
もしかすると、その工場がレコード製作に転用でもされたんでしょうか。
1916 年に Vocalion Records としてスタートしているのですが、そのほぼ同時期にカナダでスタートしたのが Brunswick で、その母体となった Brunswick-Balke-Collender( Balke の部分は Bake や Balk という異説もある)はビリヤード・テーブルの製造業者だったそうです。やがて両者は一つになるのですが。

ただ当初ヴァーティカル・カット(つまりレコード盤に刻まれた溝の深さを変化させてその上下振動を音に変えるスタイル。その原理からしてモノーラルだけ、とゆうことになります。ステレオは不可能)のみでスタートした Vocalion に対し、Brunswick は Pathe の系列だったためか、ラテラル(つまり回転する円盤上の溝が左右に振れることで、その振動を音にするスタイル。ヴァーティカルのような盤の厚みは必要としないかわり、大音量で左右に振れると、一周前の、あるいは一周後の過去あるいは未来の溝に逸脱したり破損してしまうため、ダイナミックレンジではヴァーティカルに負けます。しかし V 字型の溝の左右のバンクをステレオの左右のチャンネルとして使えるので発展性はあった!)も採用していたようです。
Vocalion がラテラル・カットにシフトしたのは 1920 年、と言いますから、実際の音質の優劣はともかく、業界のスタンダードに整合したのは遅れをとった、と言うことになるのかもしれません。

1925 年に Brunswick と統合された Vocalion ですが、みなさまお馴染みのブルースマンたちが録音を残し始めるのは、むしろ、それ以降の、Vocalion「レーベル」時代の方で、たとえば Charlie Patton や Henry "Red" Allen、Jim Jackson、Joe Turner、Roy Milton、Peetie Wheatstraw、Scrapper Blackwell、Jazz Gillum、Speckled Red、などなど⋯
う~ん、すんごいですねえ。

ま、スゴいのはなにも Vocalion だけに限ったことではなく、あの時代のレコード会社には「今にして思えば」極めて貴重な録音が揃っていたんですね。
そして、いつとはなしに「散逸してしまった」ものも⋯

以前、Paramount について、そのシェラックの質の悪さが損耗を加速した、というようなことを書きましたが、音溝をレーザーで読みとって再生する「新しい」技術に基づくアナログ盤の再生技術がある現代では、いまいちど、それを使ってリマスターするリシューが作れないものでしょうか。
ヴァーチャルなアナログ・ディスクを作り上げ、その「V字の谷」をディスプレイ上に再現し、スタイラスがトラッキングしたことによって発生した、その「斜面」のキズを目視して確認しつつ丁寧に修復していく、という「マイスターによる(?)」修復技術を導入し、即座にヴァーチャル・トラッキングを行って、その修復が妥当であったかどうかをチェックしていく⋯
完全に自動化されたプログラムなんかじゃなく、そんな「手作業」こそが 78 回転 SP 時代の音の復元には向いている、と思うんですけどねえ 。

ま、ディジタル・アレルギーが強い戦前ブルースのマニアなんかにゃ受け入れられるワケないか?

ヴァーティカルとラテラルっちゅ〜、なんじゃそりゃ?な単語かもしれませんが、いっちゃん最初、音の強弱で記録面に掘る深さ(ヴァーティカル)でいくか左右に振れる幅(ラテラル)でいくか、の二つの方式に別れてたからなんですねえ。

そもそもの最初は、回転する蝋管の表面に当てた針が音波の振動を受けて引っ掻いてく溝の深さが変わるとこから始まった「録音(?)」システム(ディクタホン)で判るよにヴァーティカルで始まっています。
それが回転する円筒に彫り込むスタイルじゃなく、回転する円盤に溝を切ってく方式が出てきたとこで、音圧で溝の深さが変わるヴァーティカルと、溝が左右に振れるラテラルの二方式の対決になったワケ。
結果としてはラテラルが圧倒しちゃったワケなんですけどね。

1910 年代にはそのシリンダーを後発のディスクが追い上げて来ます。
さらにそれまでシリンダーとディスクの両方を手がけていた Columbia も、1901 年に Emile Berliner の「Disc Recording」をメインに市場に乗り出してきた Victor の急追をかわすために 1908 年にはシリンダーをやめて両面レコードの「Double Sided」にスイッチしてしまいました。

一方の Victor は、1894 年に、ディスクに接近し 1910 年にはディスクの販売も開始して
市場はディスクを推す Victor & Columbia 対 シリンダーの Edison という図式に変わってしまいます。

しかし Edison もその状況に危機感が無かったワケではなく、およそ 3 年間の綿密な研究を重ねた上で、1913 年10月、ついに「ディスク・レコード」に進出!
そこでエジソンがこれは「売り」になる!と選んだのが厚い盤に刻んだ溝の深さで音を読み取るヴァーティカルだったんですね。
そう。エジソンのレコードは一般的なラテラル・カットに対応した再生機器では「使えない」んですよ。

やはり独自性にこだわっちゃうと普遍性ってイミじゃ不利なんだよね⋯

まあ、そこら第一次世界大戦の前のハナシですからワシにはカンケ〜無い!っちゃあその通りでしょうが、もし興味がおありでしたら Recording History of Pre-W.W.II あたり(およびその前後の録音と音盤の特集)を覗いてみてください。

あ、別にブルースを聴くなら必須!てなアレじゃありません。ただ、へ〜こんな時代もあったのか⋯てなもんでしょうから、それ知らなくたって「いっこ〜に」困ることなんて無いですよ。

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