Lock And Key Blues

Ramblin' Thomas


2004-11-06 SAT.


Lock And Key、つまり「錠」と「鍵」とくれば、こりゃもう男女の⋯てな方向にハナシが行くと俄然ゲンキを出すヒトもいますけどね、そっちの妄想でアタマがイッパイになっておる「青少年」ならいざしらず、みなさま、人格高潔であらせられますよって、そのよーな自明なることに鼻息を荒くするよな「ぼうや」はおられないでしょう(?)。

とかくブルースの解説などで、やれダブル・ミーニングであるとか、隠喩であるとかメタファーであるとか、したり顔で語りたがるオッサンもおるよーですが、ワタクシ思うに、そんなことは、聴く側が「ん、待てよ?」と自発的に気付いてこそ意味があると思うんですよ。
いえね、前にひとり、アタマが「それモード」一色で、どんなブルースを聴いても、まずその方面からしかアプローチしない、ってえトンデモな「自称ブルース・マニア」ってのが表れまして、エラい苦労したもんでした。
いやまあ、それもそのヒトの個性でしょうから、いいんですけどね。
ワタシにとっちゃあ、まず、「歌」、つまり音楽であるワケですが、そこで歌詞ばっかり重箱のスミほじくるよにもて遊んでもねえ。

しかも「性的な暗喩である」とゆうのが実は口実であって、そこに人種間の逆転願望こそが隠されている、なんてことには「まったくアタマが回らない」ウスラトンカチが多くてイヤになりますよ。

ま、そんなことはともかく、前回の So Lonesome でも申し上げましたが、なかなかに個性的なブルースを演るひとで、この Lock And Key Blues でもかなり自由に動きまわるベース・ノートやコード・プログレッションを背景に、やや粘り気のあるヴォーカルを流して行きますが、やはり途中のギターがかなりユニークですねえ。
まるで、そこが違う曲のような感じさえしますが、全体としてのベースとなるリズムを遵守するんじゃなく、気分の赴くまま、自由に伸び縮みして、時には基本であるハズのリズムですら変えてしまう⋯

ん?それがテキサスの伝統?にゃはは、そーかもしれませんね。
どーやら、この Willard "Ramblin'" Thomas はん、Louisiana と Texas の州境あたりの「出」らしいんで、そこら我が Clarence "Gatemouth" Brown 大センセと同じよな出自みたい。

ま、実際に Dalls を拠点にして演奏活動をしていた時期もあったようなので、テキサス・ブルースとして分類されるのでしょうが、この曲など、プリ・ブルースの一断面、っちゅう気がいたします。

その輪郭がモロ青森県じゃろ!となる「判りやすい」カタチしてますが、右側のマサカリみたいな下北半島に比べると「地味」な存在である津軽半島⋯

ここ、弘前はその青森県の左側にありますから、下北半島まではやたら遠く、そのマサカリの付け根あたりにある横浜町ってとこまでは菜の花畑を見に「ぷ」さんと行ったことがありますが、下北半島にはまだ一度も行ったことありませ〜ん。
一方の津軽半島はよく行ってますよ。

その津軽半島の先端近くの日本海側、小泊という町に住む友人がいます。
小泊は漁港でもあるし、ちょっと入れば山菜だらけ(らしい)。
なんだかいつ行っても「いい」時間が流れてましたっけ。

実は弘前からロードレーサーで自走して、そのルートを白地図に塗り込んでゆく、てなことしてた時期があって、もちろん北上するにつれ、自宅からの往復の時間が無駄だな、と思い始め、クルマにレーサーを搭載して前回に到達した地点、あるいはその少し手前まで行ってそこでレーサーを降ろし、さらに北へっちゅうことを始めたおかげでジワジワと白地図の赤い線が北上し続け、ついには小泊に到達し、さらに悪ノリして龍泊道、と言われる小泊と龍飛を結ぶ径の半ば、展望台にまで達したのでした。

その向こう側、津軽半島の東海岸を北上してきたルートは龍飛の漁港までは来ていますが、いまだに最後の区間「龍飛から展望台」が未達成なんですねえ。
なんでか?ちゅうと「そのあたり」でそんな周回ルート達成!なんてことに意味あるのか?とシラケちゃったんですわ。

で、それからはそんなこと無視して「走ってキモチいい」ルートだけを楽しむほうに宗旨替えしちゃいました。
どうもねえ、達成が目的だと「気に入らない」とこも走らなきゃいけない、ってのがアホらしくなっちゃって⋯

いまはもうキモチいいかどうか?だけですね。

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