34 Blues

Charley Patton


2005-01-12 WED.


語尾伸ばしヴィブラート系をもういっちょ!
つーことで、本日は昨年 5 月10日以来の Charley Patton でございます。
声質こそ昨日の Texas Alexander よりさらにドスを効かせておりますが、やはり語尾がワザと伸ばされており、しかも「小ブシ」、とまではいかないけれど、明らかに「周波数変調」がかかっておりますねえ。
相変わらず、こゆ歌い方は「お好き」とは言い難いのではございますが、フィールド・ハラーであるとか、一切の反響が無さそーなロケーションでの歌唱とかゆーものが、初期のブルースに残した影響みたいなもんを、ちと探ってみたいなー、なんて思ってもみたのですが、でも、こーやって聴いてみても「分析力」の無いワタクシにはさっぱ判りませ〜ん。

まあ、ああやって語尾を「言い切り」にしないでムリヤリ(?)伸ばすことで、「目立つ」じゃないけど「耳立つ(あ、そんなコトバ無いか?)」よにはなるじゃろな、つーことは言えるでしょね。そればっかで語っちゃうのはモンダイありそーですが。

ところでこの曲名の 34 Blues ですが、あちこちのブルースの歌詞サイトで調べてみましたが、その「 34 」に「 Go Away 」っつー意味のスラングじゃないか?てな注釈をふってるのがあるのですが、ホンマかいな?なんで 34 が「あっちゃ行け!」なんじゃろ?
百歩ユズってそーだとしたら、

I ain't gonna tell nobody, '34 have done for me

っちゅー歌詞の流れから見たら、どしたって Go Away なんて解釈が「そぐわない」よな気がするんですがねえ。
歌詞サイトによっては 34ではなく「 '34 」、つまり 1934 を意味するように表記してるとこもあります。しかし、確かこの曲って 1931 年に New York で録音されたんじゃなかったっけ?
でありますからして、これをなんかのクルマの 1934 年モデルと捉えるのもムリがありそうでしょ?
34 年型ビュイックであいつは行っちまった、なんて気がきいたフレーズだなあ、なんて一瞬思ったんですが、録音が 1931 年だとしたら、そりゃ「ありえない」ワケですからねえ。
ただ、歌詞の中ではその後で六気筒の BUICK や Chevrolet なんてえのが出て来るんですよ。
え?1931 年に BUICK も Chevrolet もあったのかって?おやおや、なんとおっしゃるウサギさん。
BUICK と言ったらあなた、すでに 1890 年代にはバス・タブや流しの製造からガソリン・エンジンの製造に乗り出したスコットランドからの移民だった David Dunbar Buick はんが、いよいよ自動車製造に乗り出して、1899 年にはついに Buick Motor Company をスタートさせとりますがな。
1904 年には生産が本格化し、すぐに全米でも屈指の自動車メーカーに!
ただし、1908 年には General Motors に統合されちゃうんですが、Buick の名はブランド・ネームとして現在に至るまで残っております。

さて、では Chevrolet のほーは、ってえと、最初の V 字型対向 8 気筒エンジン(いやあ、まさに V8 こそがアメリカン・スタンダードだよな。289 キュービック・インチやら 427 キュービック・インチなんて「化け物」のよなエンジン!そしてそれにミクスチュアを供給するホーレイの 8 バレルなんてのが凄いっすよねー)が作られたのが 1917 年のことです。バンク角 90 度の OHV でしたが、この V8 はわずか二年でお蔵入りとなり、なんとその復活には 36 年も待たねばなりません。
一方、六気筒のほーは 1925 年に登場しております。
でございますからして、とーぜん 1931 年には BUICK も Chevrolet もすでに「あった」のでございますよ。

さて、この歌詞にはみなさまご存知の Dockery も、また我が敬愛する Willie Brown も登場いたします。
本来ならば、この 1931 年の Paramount による New York*レコーディング・セッションには Son House、Willie Brown そして Charley Patton が予定されておったのですが、「大恐慌」によって喰ってけなくなった Son House と Willie Brown は 800km も南の Mississippi 州 Lake Cormorant に農作業の出稼ぎに行ってたらしく、Charley Patton ひとりが録音できたのだそうでございます。

*─ New York は New York じゃろ!というのがふつーなのでございますが、こと、相手が Paramount の場合は注意が必要でございます。
なんせ同社の The New York Recording Laboratories Inc.ってのは New York なんぞではなく、Wisconsin 州の Port Washington にあったんですから。
したがって、この記載のあったサイトの主が「そのこと」を理解してたかどうか?がモンダイになります。どうも、そこらに一切言及していないところを見ると、そこを区別する必要に気付いていなかったみたいなので、ここでの New York が「ホントの」 New York だったのかどうか「?」ですね。ま、ワタクシ自身でその原資料を発見出来ればモンダイは無いのですが、ザンネンながら、いまだ確実な記述には到達しておりません。


で、けっきょく「 34 」がナニを意味するのか、ってのはよく判りません。
どうやら、言語のみならず、文化、さらには時代という二重・三重の障壁によって真相に辿りつくのが困難になっておるようですねえ。

↑ とゆうのが 2005 年当時の投稿なのですが⋯
なんと、その後 Paramount による録音とゆうのがどうも「本当に」New York City で行われ、しかもその日時が 1931 年ではなく、 1934 年 1 月31日だった、とゆう資料が出て参りました。
もしそれが正しいとすると、’34 ってのは 1934 年であり、ああ、いよいよこれでおさらばだぜ⋯てな意味にもとれるんですが?

なお 1929 年の Paramount へのレコーディングは Wisconsin 州 Grafton で行われているようでございます。

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