The River's Invitation Percy Mayfield 2005-01-15 SAT. | 普段はけっこー「おちゃらけ」傾向に振れてるこの BLUES 日記ですが、時々はちょとリキを入れて、歌詞だって(かなり我流ではありますが)「ちゃんと(?)」訳して紹介することがあります。 この Percy Mayfield を最初に採り上げた 2003 年 9 月10日の Please Send Me Someone To Love がそうでした。 詳しくはそちらを見ていただくとして、その世界観というか「平和」への想いが「ただものじゃない」というか、いつものようにサラっと通り過ぎるに忍びない、独特の引力を持っているんですよね。 Living Blues #50 でのインタビューによれば、どうやら彼の作った曲の世界の中心にあるのは「哀しみ」のようです。 まさに Please Send Me Someone to Love を貫くのは、「平和な世界」という、言わば人間社会の根本となるべき理想ですら、いまだに実現できないでいる人類というものに対する痛切な哀しみであったように思います。 今日のナンバー、The River's Invitation は、それに比べれば、さほど深刻さはありません。 国中を旅して、いろいろな街でギグをしたなあ。 その間、どっかにいい女(ひと)はいないかなあ?と探してきたけれど、どうも見つかりませんねえ。 川の畔で独り「黄昏れて」て、なんでいい女がいないんだろなあ、と川に向かって呟いたら、川が応えてくれたんですよ。 「なんだか寂しそうだね。凄いしょぼくれて見えるよ。どうしてもいい娘(こ)が見つからなかったら、ここに来て俺(これ、川のことね)と一緒に暮らす、ってのはどうだい?」って。 う〜ん、まあ人スキズキですからねえ。川の畔で「清い(?)」隠遁生活すんのも「あり」でしょうが、みなさまはいかが? え?あたし?そりゃあ、その、なんだ、@&#⋯ Specialty に録音したこのトラックはまたやたらジャズィですねえ。 イントロからしてブラス全開ですから。 そこに、やや粘っこくヴォーカルが絡み、気分はナイト・クラブってやつ? ホントのことゆうとここだけのハナシ、このタイトルに惹かれて選んだけど、この手の曲って苦手なんだよね。 なんか観念だけが先走ってるみたいでさ。 まあ、似たよなもんだ!ゆうヒトもいそうだけど、ワタシからしたら Please Send Me Someone To Love のほ〜が百倍くらい好き! つ〜か、この曲についちゃあんまり好きになれる要素が薄いって感じかな? 別に悪い曲じゃないんだけどこの曲が地上から消えちゃってもたぶん「あっそ」で終わりそう。 ただ、この曲もまた、彼の他の作品と同様に広い層からの支持を受けることとなり、Aretha Franklin をはじめ、多くのアーティストがカヴァーしております(あ、カヴァーと言えば、デヴィッド・カヴァーデイルもやってるとか・・・まだ聴いたことないのでホントにこの曲なのかは不明ですが)。 実はワタクシもこの曲を最初に意識した(聴いた、じゃなくね)のは Percy Mayfield のじゃございませんで、実は Clarence "Gatemouth" Brown の Gate Swings なのよねん。 で、そー言えば CD に収録されてたハズ、ってんで「帰って来た」ワケでして、それまではこの「名曲(?)」のオリジナルもあまり意識していなかったのでございます。 まあ、あまりジャズが「お好きでない」ワタクシとしちゃあ、そりゃ Percy Mayfield より Gatemouth のほがピンと来ますからねえ(あ、この Gatemouth のアルバム Gate Swings は「かなり」ジャズっぽいんですけどね。ま、どこがちゃうか?ってえとその歌い方かも)。 とは言いながら、やはり、ここは原作者の功績を称えて、っつーことで Percy Mayfield で日記に登用でございます。 やはり(?)世の中には能書きに縋るニンゲンが大勢、おるようでございます。 もっとも「そんなことキョ〜ミ無い」ってゆ〜かたもケッコ〜多いんじゃないか?思ってはおりますけどね。 ワタクシ思うに、能書きなんて言わないで黙ってやることやってるニンゲンってのは尊敬に値する軌跡を残してるケースが多いんですが⋯ど〜も「能書きで飾り立ててるヤツ」ってのは薄っぺらなんだよな。 口先だけ、それで判ったつもりでいるウスラトンカチ。 なんでそんなに「ダメだこりゃ」なのか?ちゅうと、能書きってよりも口実、あるいは免罪符として、はたまた「聞こえのいい」キャッチコピーとして濫用してるからなんだじゃないの? そりゃまあ、なんでもかんでも「判ってもらえるように」慎重かつクソ丁寧に説明なんぞしてたら疲れちゃう!ってとっから「手抜き(?)」としてキャッチーなフレーズみたいに使い始めたのかもしれんけど、そこらはスグに形骸化し、同じこと何度も言ってると、そのフレーズがどんどん軽く、かつ「ウソっぽく」なってくんだよな。 能書き言わないひと、ってのはたいて〜(あ、全員が必ず、って意味じゃないよ)自分のやってることを自分で見張っててチェックしてるんじゃないかな。 そこには「こんなもんで充分だろ」なんてゆうムセキニンな「見切り」は無いし、どころか冷静に自分の向かっている方向をみつめてると思う。 うん、大事なのは自分の向かっている方向であって、そのチャラい解説なんかじゃない。 逆に言えば、そんなフレーズに収まるよなタンジュンなことじゃ済まないだろ!ってこと。 |
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No.998