Depression Blues

Melvin Taylor

2004-06-18 FRI.



この Melvin Taylor だけじゃなく、 5/6 の Dion Payton、 6/9 の Kinsey Report あたりにも共通した、ロックからのフィード・バックじゃあ?って感じのややアグレッシヴなギターと、スムースなヴォーカルのマッチングが、やはり、「時代の音」なんでしょか?
もちろんワタクシ、それが嫌いなハズはなく、このところ、毎朝のスターティング・プレイには iTunes に読み込んだこの The New Bluebloods から、というパワー・プレイ状態なのでございますよ。

この Depression Blues も、ご他聞に洩れず、Gm からのマイナー・ブルース( 9 小節目からは A#→ C という進行)ってえ味を活かして、ギターが歌いまくります。

2003 年 9 月の Blues Year で六本木ヒルズに来たときには、一見 Gibson 335 みたいなセミアコだけど、ちゃうメーカーの(画像を拡大してみましたが、画像のレゾの関係で、Ibaneze かもしんない?って程度しか判りませんでした。つうかハコものギターにはあんまり詳しくない、いやキョ〜ミ無いもんで)ギターを弾いてましたが、この曲の音はもっと「ソリッドっぽい」よな気がしない?
1994 年の Blues On The Run じゃローズ・ネックのストラト使ってるし、1995年のジャケットじゃ、Guild Starfire と、Gretsche の(ファルコン?ううう、グレッチにはヨワいのだ)セミアコ持ってる画像がありました。

けど、ワタクシの受けた印象だけで言っちゃうと、この曲で使ってるの、Les Paul じゃないのかなあ?って感じの音でございますよ。でも、その画像は見たことないんで、やはり、あのメーカー不詳の 335 タイプの音なのかもしれませんが。
2002.10.23 の画像じゃあまたストラト(今度はゴールドのボディにメイプル・ネック)持ってますね。

Plays the Blues For You
に収録の Tribute to Wes や、Rendezvous With the Blues の Comin' Home Baby* あたりを聴くと、そのコチョコチョした(なんてゆーと叱られそうだな)奏法や、前者でのオクターヴ奏法とか、ま、ジャズっぽいとこもあることはあるけど、でも、やっぱ、この Depression Blues みたいなナンバーのほうが「生き生きしてる」と思うんですが、どーでしょ?
なお、この曲を収録してる Melvin Taylor & the Slack Band じゃあ、(たぶん) Otis の All Your Love もやってるらしーんですが、このアルバムのほーはまだ聴いてないのよねん。

*Comin' Home Baby ─ 特にフルートのハービー・マンのが有名だけど、マイナーの変形ブルース進行。通常、インストで演奏されることが多いんですが、ヴォーカルものではメル・トーメのものが絶品でしょう(ま、そこら個人的な「思い入れ」とかで色々でしょうが)。
たしか 1966 年だと思ったけど、ワタクシがトラでウッド・ベースを弾いた青森市民会館(いまは無い)でのライト・ミュージック・コンテストってので、バンド名は忘れたけど、青森市内のダンス・ホール(つまり後のディスコじゃレコードになったけど、当時は生バンドの演奏で踊るシステムだった、っちゅうこと)の専属だったらしいのが、この Comin' Home Baby をインストでやって優勝したように記憶してます。
曲もカッコいい!と思ったけど、それ以上にワタクシの目を釘付けにしたのが、そのバンドのリード・ギターの使っていたホンマもんの(大きい楽屋にみんな一緒だったので、確認できました。Elk や Morris のコピーじゃおまへん!) Fender Jaguar でしたねえ。
この日以来、Fender の Jaguar は「憧れ」としてココロの中に棲みついてしまったのでしたが、当時、大卒の初任給が 2 万円にまだ届いていなかった時代に「定価 25 万円!」ってのは、よーするに「年収」の全額を注ぎ込まないと買えない、っちゅーバクレツなおネダンなワケでございます。
どーなんでしょ、今で言うと 300 万円くらいの「価値観」でしょか?ま、そこらあまし自信は無いんですが、なんにしてもまだ学生の身分でおいそれと買えるよーなシロモノではございませんねえ。一度、保谷の知人とこで弾く機会があった真っ赤な Jaguar はホントに「いい」音してましたが、その「いい」っての、今のワタクシが言う「いい」ってのとはゼンゼンちゃうのねん。やはり、あのテの 1967 年ころに演ってたインスト系のナンバーあたりには「いい」けど、その後ワタクシがドップリと「染まってしまった」ブルースの音とは「合わない」んですよ。
ま、ワシゃあの音でブルースやるんじゃ~!って方もおられるでしょし、それにタテつくもんではおまへんが、ワタクシはアレでブルース弾いてると欲求不満になっちゃいましたねえ。

てなことはともかく、この Comin' Home Baby、なかなかに思い出深い曲なのででございます。

Melvin Taylor は 1959 年 3 月13日、Mississippi 州の Jackson で生まれていますが、彼が 3 才になった 1962 年に一家で Chicago に出てきていますので、三つ児のタマシイ百まで、ってので行くと、そのよーな重要な時期に Chicago Shock に見舞われてるワケですから、いやあ、ブルースマンとしては(あ、いちおー、ワタクシもそーなりたい、ってなイミでして、そこら、あましツッコまないでねん)実にうらやましいざます。
お母さんの兄弟で Floyd Vaughn ってひとが彼にギターを教えてくれたようで、12才にしてすでに、クラブで他のミュージシャンに伍して演奏していた、っつうんだから、教えた叔父さんもスゴかったのかもしんないけど、本人も才能っちゅうもんに恵まれておったのでしょう。
どんなにいい先生についたって、本人にポテンシャルが無ければ「開花」することはないでしょうからね。
おおよその基本はその叔父さんから学んではいたようですが、スライド・プレイやフィンガー・ピッキングなど、様々な技巧は B.B.や Albert King、Jimi Hendrix など、偉大な先達(?)たちの作品を聴くことで身につけていったみたいです。

ただ、彼の 10 代は、ブラック・ミュージックに焦点を合わせていたワケではなく、ナイト・クラブや、ポップスのタレントのバッキングをつけるバンドでの活動がメインだったようで、1970 年代のポップスがレパートリィだったといいますから、そのヘンも彼の個性の一部を作り上げているんでしょうね(余談ながら、そのバンド the Transistors は後に彼の義理の父となった男がマネージメントしてたそうです)。その the Transistors は 1980 年代に入って分解してしまい、Melvin Taylor は Chicago のブルース・クラブに帰ってきました。
ちょうど、それに合わせたかのように、Pinetop Perkins が、ヨーロッパ・ツアーに同行してくれそうなギタリストを探していたので彼はそこに加わり、おかげで彼の名前は当初、ヨーロッパで知られるようになったのでした。
やがて、その名に目をつけて、彼にも(?)バンドを組ませて、完成したパッケージに仕立てよう、という動きが出てきます。つまり、the Transistors を再結成させてブッキングを開始しよう、ってワケですね。そのメンバーはどうやらポップス・バンドのときのままらしいのですが、確認はできませんでした。
初期の二枚のアルバム Blues on the Run ( 1982 )と Plays the Blues for You ( 1984 )では、バックがその the Transistors のようです。
その体制で B.B.や Buddy Guy、Santana(!)などのオープニング・アクトを務めたりもしていました。
つづいて、そのような興行サイドのニーズではなく、自らのヴィジョンを優先した Real Own Band、the Slack Band を結成し、ウエスト・サイドのクラブ、Rosa's Lounge をベースに活動を開始しています。
そして 1995 年の Melvin Taylor & the Slack Band は商業的にも大きな成功になりました。
そして最初のほーにも書いたとおり、2003年には Blues Year で六本木ヒルズにも登場しておりますから、すでにご存知の方も多いことでしょう。
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