Kansas City

Brewer Phillips


2004-03-07 SUN.
Kansas City とくれば、この日記でも 7月25日付の Wilbert Harrison、そして、それそのものじゃないけど、それからアイデアをパク・・・うっぷす、いただいた Wild Jimmy SpruillKansas City March ってのを採り上げておりますが、今回は Brewer Phillips でございます。とは言っても、みなさまご存知のとおり、セット自体はお馴染みの Hound Dog Taylor and the HouseRockers なのよねん。
あ、Houston Stackhouse にも Kansas City Blues ってえのがありましたが、あれはちとちゃうんですよね。なんてコトは、そもそもその曲の存在を「知ってる」ほどのひとならワタクシがそんな余計なこと言うまでもなくご存知なワケですから、こりゃまったくの「蛇足」ってヤツでございますが。

さてサクレツするよなギター・サウンドで始まる Brewer Phillips の Kansas City でございますが、彼のヴォーカル、ちょっとヨレっぽいですが、なんだか荒削りでストレートで好感が持てます。「どうだウマいだろ」光線(?)がツメの先ほども出ておりません。そして例によって Ted Harvey のストロングなビートに乗せて、ドトーのガブリ寄り(ますますワケ判らんヒョーゲンじゃのう)がこれまた実にこころよいじゃあ〜りませんか。Alligator ALCD 4727 Genuine Houserocking Music

ヴォーカルにあまり自信の無いワタクシといたしましては、こゆ彼の歌にシンパシっちゃうのよねん。
さて、この Brewer Phillips、出生について「たぶん 1930年ころと思われる」ってのと、「1924年11月16日生まれ」と言いきっているものとハッキリ別れております。この違いはなんざましょ?たいてーのとこは「1930?」説なんですが、VH1.com ってとこでは前述のとおり 16 Nov.1924、と明記しております。ザンネンながら他にはその説をとってるのが「例のアテにならない ALL MUSIC GUIDE 」ですからねえ。
なんか、それだけで「怪しい」と思っちゃう!常日頃ウソばっかし平気で書いてるサイトですから!

ただし生まれた場所としては、どの資料でも Mississippi 州の州都 Jackson からほぼ北に 100km ほど離れた Coila というところで生まれた、としているようです。綿花畑の続く丘陵地帯の中にある町で、綿花を加工して綿糸にする綿繰り機の音が聞こえ、他には郵便局があるだけの町だった、と本人はインタビューで語っています。彼は綿花の農場で育ち、まだ子供のころからブルースに親しんでいたようで、1940年代の終わり近くには West Memphis 一帯でギグをしてまわっていたそうです。
また、このころ Eddie Taylor ともよく一緒に遊び、「釣り仲間」でもあったそうですから、1923年生まれの Eddie Taylor とウマが合った点を考慮すると、1924年生まれ、ってえ説もやや整合性が増すような気もいたしますけどね。当サイトでは AMG の資料性をあまり重視いたしておりませんのでサイゴまで「眉ツバ」で通しておきます。

やがて彼はトラックのドライヴァーとなって Greenwood 周辺から広く州内一帯を未舗装路の砂利をハネ飛ばしながら走りまわっていたようです。そして本人によれば、この時期から行く先々で将来の相棒となる Hound Dog Taylor と出会っていたようで、まっこと縁は異なものでございますね。
そしてこれは Eddie Taylor のところでも出てきましたが Memphis Minnie がまたもや登場いたします。彼が最初にギターを教わったのは彼女からである、っちゅーハナシがあるんですが、そこら真偽のほどは判りません。そのような「伝説」は確かに興味を惹きますが、それだけで彼のギターを語ることはモチロン出来ないし、また、「ありえない」なんて言えるほどの確信もまた無いワケで、ま、一応、そんなハナシもありますよん、程度で覚えといていただければ充分じゃないでしょうか?
ただし、この時期というのは Mississippi 一帯に他にも伝説的なブルースマンがウジャウジャいた(は言い過ぎか?)ワケですから、タップリと養分を吸って熟成されたのは確かかもしれません。
ま、ひとりのギタリストがどのようにしてその自己のスタイルを形成したのか?なんてことは厳密に定量化できるワケもなく、どれも「可能性」に過ぎないのではございますが、ハタからすりゃあ、それを「あーでもない・こーでもない」とやるのが楽しいのも事実。リズムは Eddie Taylor から、シゲキテキなリード・ギターは Pat Hare からだ、なんてブンセキもありましたが、大事なのは、その個性が Hound Dog と出会って、実に「活きた」ってことでしょう。

最初、Roosevelt Sykes や Joe Hill Louis、そして Memphis Slim などと仕事をするようになり、次いで Eddie Taylor に遅れること約三年、1952年にはいよいよ Chicago に出てまず「大工」として働き始めたようですが、1957年には Hound Dog Taylor とウェスト・サイドのクラブ(原文では Tavern となっています)で一緒になり、1959年には Houserockers に加わっています(ただし、その正確な時日については異説もあるようですが)。以来 1975年までその関係は続いた、と言われておりますが、1975年にその関係が壊れたのにはいささかアブナいエピソードがからんでおるのでございます。
これは 8月 4日付の日記、「Wild About You Baby / Hound Dog Taylor」でも紹介しましたが、当時 Hound Dog と Brewer Phillips は「仲が良すぎて(?)」なかなかタチの悪い冗談を言い合っていたそうなんですが、それはもっぱら相手の奥さんと「お前が留守の間によろしくやったぜ」みたいなジョークを(かなりタチ悪いジョークだよね)アイサツがわりにしてたらしいんですが、ある日、ムシの居所が悪かったのか、Hound Dog がいきなり、いつものジョークをクチにした Brewer にハラを立ててピストルで撃ってしまったのでした。脚を撃たれた Brewer はそれからしばらく交際を絶った(当たり前だよね)のですが、その Hound Dog の癌が悪化して死が近づいていることを知った Brewer はついに彼を見舞いました。その和解の二日後、Hound Dog Taylor は還らぬひととなってしまったのです。

Hound Dog Taylor が死んだ後、彼は J. B. Hutto や Cub Koda などと活動を続けています。
そして、かって Houserockers にはハナもひっかけなかった(?)Delmark Records から自身のアルバム Home Brew をリリースしています。このアルバムは Bluespeak.com によって 1996年の Record of the Year に選ばれたのですが、それを知らされた Brewer Phillips は

I don't know why.
It sounds like shit.

(ま、「そんなの知ったこっちゃねえよ。クソくらえだ!」てなもんでしょね)とのたまったそうでございます。それが気に入った(?) Bluespeak.com はあらためて彼を 1996, Artists of the Year に選定したのでございました。

その Brewer Phillips も 1999年の 8月30日、Chicago のサウス・サイドのアパートの自室で息をひきとりました。あの世でもこの二人なら、しょーもない冗談を言いあっていることでしょう。
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