Telephone Is Ringing

Pee Wee Crayton


2004-04-03 SAT.
正直に言うと、Pee Wee Crayton って、それほど「好き」な部類のブルースマンじゃあないんですよ。
ちゅうか「ハッキリゆうと」大っ嫌い!にきわめて近い存在!
しょ〜じき、ブルースのサイトやってなきゃこんなの(こんなの?)思いっきり無視するとこだよな。
良くも悪くも、その Jazzy なテイストが(それ故に「好きだ」とおっしゃる方も多いのでしょうが・・・)どうもワタクシの「抗体反応」を招くらしく、アナログ・ディスクの時代ですら(つまり片面だから、時間は CD の半分に過ぎないのですが)一枚を通して聴く気が「しなかった」のでございます。

しかし、コンピレーションに入ってて、ポっと一曲、出てきた場合(今回がそうなんですが)、うん、まあまあ「この程度ならいいんじゃないの(エラそうですんまへん)」なんて思うこともあるのでございます。
この Telephone Is Ringing は House of the Blues Vol.1 JiMCO JICK-89690 ってえ CD に収録されておるのですが、Jimmy Nolen の After Hours の後に入ってて、その流れも大きいんでしょね。
たぶん前が Albert Collins なんかだったら、ピー・ウィーなんざ、やたらショボく感じて(あ、それはワタクシのバヤイね。コリンズにどっぷり汚染されとるもんで、そー思っちゃうけど、そじゃないひとは「ちゃんと」正当に評価できるんじゃない?)、たぶん、あまり印象にも残らないで終わってたと思うんですが。

しっかしまあ、耳障りな音だよな〜。
この録音も「あの」赤いボディにローズ・ウッドのネックのストラト使ってるんでしょか?
ある意味、Fender じゃないと出ない(ま、ホントはそんなことも無いんですけどね)音、ってことで差別化を図るため(?)、このよーなトーンを選んでるのかもしれません。
ヴォーカルが滑らかで耳触りがいいだけに、ヨケー気になるのでしょうか?ま、単にトレブリィだってゆうだけじゃなく、やや濁ってるとこが「耳障り」な原因なのかもね。

Pee Wee Crayton(この名前が翻訳サイトのウェブ翻訳でどーなるか、おヒマな方はお試しくださいませ)こと Connie Curtis Crayton(えっ?Connie って女性の名前っぽいけどホント?)は、1914 年 12 月 18 日、Texas 州の Rockdale あたりで生まれているようですが、育ったのは Austin のようです。
早くからいろんな楽器(ウクレレ、ギター、バンジョー、そしてトランペット)に親しんでいたようですが、彼が興味を持った音楽はブルースよりも、Duke Ellington や Louis Armstrong だった、と(ほらな、やっぱり!)。
そして 10 代直前(?)にはウェスト・コーストに移り、ベイ・エリアで造船関係の仕事についたようです。
さらに自動車販売業者のもとで働いたりもしていたようですが、アメリカが本格的に第二次世界大戦に参戦したことを受けて再び船舶関係(オークランドの米海軍造船廠)移り、ここで初めて自前のギター(リゾネーター付だったそうですが)を手に入れていますが、あまり「ウマく」は弾けなかったようで。

当時の California はジャズ、そしてブルースにとっても「変化」の兆しを見せていた、と言われることもありますが、現実に数々の録音上にその「傾向」を嗅ぎとることが出来そうです。洗練されたホーン・アレンジメントや「ロケンロー」まで紙一重の新しいビート・・・
このあたりは、むしろジャズ畑のみなさまのほーが「重視」し、かつ「熟知」されておられるかも。

またポップ・シーン、それもヴォーカルにおけるトレンドを大きく左右したのは Nat King Cole だったかもしれません。
Pee Wee のヴォーカル・スタイルにも、その影響があるような気がするんですが、いかがなもんでしょ?
ギターのほうでは 1939 年から 1941 年にかけて Benny Goodman のもとにいた Charlie Christian の単弦奏法が、まず彼に影響を与えた、としている資料がありますが、あいにくとそっち関係はニガテ分野なので、あまし詳しく分け入ってくのはヤメときましょ。
1944 年には T-Bone の演奏に触れて、また大きく彼のギターが変っていくことになるらしいのですが、そのヘンも T-Bone に詳しくないワタクシといたしましては「~らしい、~ようだ、~みたい」程度のことしか言えませんのであしからず。
なんちて、ショ〜ジキに言うと T-Bone ってのもワタクシ、大っ嫌いなんですわ。がははははは!
そして Ivory Joe Hunter のサイドマンとなり、1947 年には Los Angeles の Four Star Records に初吹き込みもしているようですが、あまりパっとはしなかったみたい。

しかし T-Bone が「売れまくり(?)」、それに目をつけて、同じよなタイプのスターを探してた Modern の Bihari 兄弟は Pee Wee に T-Bone のナンバー、I'm Still in Love with You を吹き込ませています。女性リスナー向けの滑らかな仕上がりだったとか。
この日記でも何度も(最初が、昨年 8 月 17 日の Pinetop Perkins、その翌日の Eddie Taylor、ちょっと間を置いて11月22日の Jimmy Nolen)採り上げた Erskine Hawkins Jazz Orchestra の After Hours ですが、それが Pee Wee の代表曲ともなるんですから、この曲の持つ魅力ってのはそれだけ大きいのでしょうね。
ただ、逆にそのことが彼にインストを強いたという一面もあったようですが。

1951 年には Aladdin に吹き込みをしていますが、そこでは When It Rains It Pours で彼のやや高い声域のヴォーカルが活かされ、ポップスのマーケットにまで進出したようです。
ただ、それがそのまま彼のミュージシャンとしての「安寧」を約束したワケではなく、むしろ雌伏の時期を招いたらしいのは実に皮肉、と思えますね。
・・・ううう、ど~もチョーシが出ないなあ。やっぱズージャがらみになるとゲンキが無くなるんですよ。

やはし Pee Wee を採り上げること自体マチガイじゃったかもな~。今回のこの曲がギリギリ許容範囲で、彼の生涯やらそのヘンに、いっこもシンパシーが持てん。
とゆーワケで、ワタクシここで GIVE UP いたします。
さいわい Pee Wee についちゃあ、内外に充実したサイトがございますゆえ、キョーミがおありの方はそちらでどーぞ。
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